常磐津について

常磐津とはなに?

常磐津は歌舞伎と共に発展してきた「浄瑠璃」の流れをくむ「語り物」です。ストーリーのある曲を、節をつけて演奏するのですが、常磐津では「歌う」「謡う」ではなく、「語る」といいます。

三社祭浮世絵

こちらの浮世絵は、「三世相錦繍文章」、通称「三世相」と呼ばれる演目を描いたものです。このシーンは「三社祭」の段で、クライマックスの大立ち回りが行われている中、裃を着た常磐津太夫と三味線奏者が舞台の後方で芝居をさらに盛り上げています。一方で、「三世相」は常磐津単独でも語られています。常磐津の語りだけを聞くことで、歌舞伎の舞台とはまた一味違う世界も楽しめるのです。

常磐津都㐂蔵理事長は、常磐津は「音楽的に良い声とか、きれいな音を楽しむだけではない」と紹介されています。常磐津は「語り物」であるから、演奏者自身を、そして観客を想像の世界へ誘ってくれる。聴く面白さ、楽しさを再発見するため、ぜひ常磐津の世界を体験してください。

常磐津で語られる曲は?

常磐津浄瑠璃踊初流行寿語六

こちらは、江戸時代に出版された常磐津の曲を題材としたすごろくです。「源太」「葛の葉」「梅川」など現在でも行われる人気の曲目が並んでいます。上がりは「関の扉」(積恋雪関扉)です。常磐津の曲は一説には数百曲にわたると言われており、今も多くの愛好家によって語り継がれています。

常磐津の歴史

常磐津流が創始されたのは江戸時代の中ごろ、延享4年(1747年)のことです。豊後節の宮古路豊後掾の門弟であった初代常磐津文字太夫によって創設されました。本業である歌舞伎の舞台での演奏は人気を博し、一般町人の間でも常磐津を学ぶことがブームになりました。

於浅草伝法院常磐津祖弐百五十祭執行参歩之図

明治以降も多くの名人が出、常磐津の芸と歌は今も語り継がれています。こちらは明治18年(1885年)に出版された、常磐津祖の二百五十年祭を描いた錦絵です。七代目常磐津小文字太夫(のち初世林中)をはじめとする当時の常磐津関係者とともに、歌舞伎役者たち、老若男女が常磐津の定紋である角木瓜の傘をひろげ、伝法院への道を練り歩くという華やかなものでした。

そして昭和16年、十五世家元常磐津文字太夫によって、関西常磐津協会が設立されました。

関西常磐津協会の歩みについてはこちらからどうぞ